藏家(くらや)は、大阪市住吉区で『お客さまとコミュニケーションを深く図る』をモットーにする住吉区の工務店です。

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居藏の自己紹介を詳しく書いてみました♪

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大阪市住吉区で居心地の良い家を、住まい手さんと一緒に楽しく作っています。
詳しいプロフィールはこちら


2011年の居藏(やっぱ若いかも(笑))

居藏宏幸(いぐらひろゆき)のプロフィール

木の家専門店/国産材を使った木の家専門家/1級建築施工管理技士/木の小物製作販売

僕が独立して工務店を始めたきっかけ

2010年に満を持して木の家の工務店として独立しましたが、なぜ独立をしようと考えそして独立したのかを書いてみましたので、お付き合いいただけると嬉しいです♪

学生時代将来何をしたいのか不明確だった

高校卒業後、大阪芸術大学付属大阪美術専門学校に入学。
手を動かして「ものをつくる」ってことがめちゃくちゃ楽しくなってどんどんのめり込む自分がいました。


当時18歳(笑)やっぱめちゃ細いですね~

もっともっと学びたいと思い、昼は専門学校、夜は短大の通信教育で勉強を続けました。
(ホントは遊びまくってた学生時代(笑))
卒業後、大阪芸術大学2回生に編入し、建築学科で建築を学びました。

新卒でリフォーム会社に働くも現場の事が全く分からない

大学卒業後設計の仕事がやりたくて、リフォーム会社に入社しましたが何故か仕事は、外壁塗装の飛び込み営業でした(笑)。
高い「目標」という「ノルマ」を設定され、休日もなく、契約が取れずに怒られる毎日。
心が折れそうになりながら、
がむしゃらに仕事をこなし精神的に鍛えられた6ヶ月間でした。

その後、念願のリフォーム設計の部署に異動したものの
現場のことがさっぱり分からず(涙)
図面を書いているというよりも指示されるまま絵を描いているだけ・・・
生みの喜びも苦しみも、そこには全くなく、毎日に将来の不安を感じて過ごしていました。

でも、精神的には鍛えられた貴重な時間でした。※でも二度とやりたくない。。。

大工の職業訓練校に入ることに

自分に足りないものはなにか?。
「現場を知るしかない」と一念発起し会社を退職して
大工の職業訓練校に1年間通うことに。
そこで、1年間みっちりとカンナの研ぎ方や使い方・ノミの研ぎ方や使い方、加工の仕方・刻み方などを教わりました。


当時の卒業写真♪
ちなみに真ん中のピースをしてる子が、藏堂のぐっさんこと中楠さん。
ぐっさんの右上にいてる白のシャツを着てるのが、今藏家のメイン大工米倉君。

そう、僕たちは同級生なんですw(年齢はちょっと違いますが(笑))

卒業後に入社したのは不動産屋の建築部

卒業後、現場監督の経験を積む為、不動産屋の建築部に入社。


当時の先輩との記念撮影。てかめちゃ細い(笑)

現場監督として働く。
ベテラン社員から実務を学べると期待したが、入社後すぐ会社がまさかの分裂。
急遽先輩社員とコーディネーターの3人で「売り建て」を担当する事になりました。
しかし、、全員が経験不足だったので、設計や施工管理の業務を手探り状態・・・。
そんな仕事の状況の中、私は木が好きな大工さんに出逢いました。
その大工さんの現場は吉野の山で木を選び、和室造作に凝ることができました。
私はこの現場を通して、家づくりの面白さや木の家の魅力を見つけ開眼した。
そしていつかは木の家を作る工務店をやりたいと思いを募らせた。

入社1年後、私は60区画分の家をたった8カ月で全区画を引き渡す過酷な計画を任せられる事に。
昼夜なく働き、土日にはお施主さんと打ち合わせの日々。

その当時の写真。前回の写真と先輩の立ち位置を変えてみた(笑)

苦労の結果、目標通り8カ月で完工して会社の利益に大きく貢献したが、会社からの評価は高くなかった。
工期ベースの会社に失望した私は「このままではマズイ」と思い会社を辞めました。

国産材の木でつくる工務店に転職

リフォーム会社に3年、職業訓練校に1年、不動産会社に2年勤めた私は気が付くと30歳目前だった。
私は幼少期に両親が離婚。様々な仕事に携わっていた母親の影響で、子供の頃から起業することを目標にしていましたが、まだ独立できないと感じていました。
そこで、工務店として独立することを前提に工務店へ転職。

次の会社では1年間契約社員として「木の家」が得意な工務店で働きました。
職種は、現場監督だ。
木の構造体をキレイに魅せる作風がすごく好きで改めて「オレは木の家が好き」だと確信しました。
その工務店は設計を標準化し、見積もりや施工管理が効率的に行える仕組みを整えていた。
空間やおさまりと共に仕事の進め方も勉強させてもらいました。

そして翌年、現場監督として別の工務店で働き始めた。
入社2カ月後、婚約者と結婚。
入って間もない私のスピーチを当時の社長は快く受けてくれました(笑)
(下の写真の方です)
ここでは前職の経験を活かし予算管理を徹底して行い現場の流れをよくするようにしていきました。


2018年9月が当時の社長の50歳の誕生日だったのでお祝いを兼ねて挨拶に行ってきました♪

そして、2年半在籍して、満を持して独立する決意をしました。
2010年の4月でした。

独立したが仕事が全くない日々

個人事業主、藏家として独立。
でも、施工実績も大きなコネもないまま独立したので、とりあえず、チラシを作ってポスティング・・・。
反応は全くない。※今思えばあるわけない・・・(笑)
毎日毎日仕事もないのに賃貸で借りた事務所に通い悩む日々。


当時はこんな胡散臭いチラシを作ってた・・・

 そんな時意外な所から声がかかった

売り建て時代のオーナー様でした。家を建てた不動産会社が傾きかけていて対応が悪かったことから、私にリフォームの依頼がきました。
とても小さな工事だったけどめちゃ嬉しかったです。


工事中まだ3歳ぐらいだった子供たちが当時小学1年生。
そして今は・・・・多分高校生になってるんでしょうね💦

そして間もなくその不動産会社は倒産。
そこで私は、かつて担当させて頂いたオーナー様のお家にリフォームのチラシをポスティングしてみました。
築年数が浅かったので軽微な仕事が多かったけど、「居藏君だったらこれお願いするわ」と指名していただく仕事が嬉しかったのを今でも覚えています。


イグイケメン代表とか書いてくれてる(笑)

同じ時期に独立前に勤めていた工務店から外注監督としての依頼があり、新築3棟とリフォーム2棟を納めた。
最初の2年はサラリーマン時代の人とのつながりを大事にしていた事もあってそのつながりで何とか仕事を得る事ができました。

「人との縁は絶対大事にしよう」と心に誓う♪

転機は独立2年後に妻の友人の新築を手掛けたこと


2012年の居藏

2011年9月。
妻の友人が、実家の土地を使って建て替えてほしいという依頼をくれました。
そのご縁が本当にうれしくて愛情を注いで家を一緒につくりました。


築60年以上の立派な入母屋の建物を解体して建替え。
その家に使われていた梁や欅(ケヤキ)の柱、出書院の建具や欄間などを新築にも使うことに。


2012年9月には完成見学会をさせて頂き、沢山の人が見に来てくれました♪


その時のお客さんの手紙
ひろくんってちょっと恥ずかしいけど(笑)
完成後にもらったこの手紙は一生忘れる事はありません。
ここから新築住宅が徐々に依頼してもらえるようになりました。


2015年の居藏

2015年、縁あって所さんの大改造劇的ビフォーアフターに工務店として出演。
(しかし匠ではないのでほぼ映像としては出なかった・・・・涙)

こんな感じでちょろっと出演程度・・・(右上)

  

まぁ、所さんと一緒に写真撮影できたからそれはそれで満足♪

2018年の居藏(笑)だいぶ太ってきた・・・

テレビ東京のワールドビジネスサテライトのトレンドたまごに出演♪
これはホントビックリするぐらいの軌跡(笑)
片淵茜アナウンサーとツーショット💖

動画もアップ♪

ウッドデザイン賞2018で「nugui-tiecho」が受賞♪

 

新建ハウジングさんの新建新聞に掲載。
そのときのブログはこちら


2018年の居藏

他のお客さんの声

 

他にも沢山頂いていて本当にすべてが宝物です💖

僕が家を建てる方に約束できる事

お客さまと「家づくり」を楽しむ。
とにかくお客さまとの会話を大事にする。
「自分が暮らしたい」と感じるような家にする。
木や土など自然の素材を使う。
時間とともに変化し、愛着ある魅力的な家を建てる。
既製品をなるべく使わないようにする。
建具一つ、その家に合ったものをつくる。
木の表情・杢目・節など個性に心を配り、世界に一つだけの家をつくる。
国産材の構造材を使ってぬくもりのある家をつくる。
木造住宅でも高断熱高気密の家づくりで快適な住まいにする。


僕も2017年に自宅を建てて木の家って本当にいいなと実感をしてます!
楽しく快適な住まいを一緒に作りましょう♪

僕の喜び・夢

さきほどのお客さん達のように、居藏さんに頼んでよかった、藏家さんで建てて良かった。
家づくりがすごく楽しかった。居藏さんのテイストが私たちは大好き!
などお客さんからの言葉が一番の喜びです。

いぐらのちょっとした情報

■1978年1月18日生まれ。広島県竹原市出身。
あの竹鶴酒造の竹鶴政孝(まっさん)さんの生まれ故郷でもあり、わたくしいぐっさんの生まれ故郷でもあります(笑)
■11歳の時に親の都合で離別、母親と2人で大阪に出てきました。
■30歳で結婚。新婚旅行はハワイ。ハイアットリージェンシーホノルルに泊まるも、外のハワイの人よりホテルマンが日本語をしゃべってくれずかなり苦戦した思い出が今でもよみがえります。(笑)
■子供は3人で、2010年生まれの長女と2016年生まれの長男と2019年生まれの次男です。
■性格⇒かなりちょけてるけど、実は恥ずかしがり屋。人が好き。でも、違うと思った人はすぐにしゃべらなくなる。
■好きな事・物⇒木で何か小物をつくる。休日に子供たちとの外出。
■苦手な事・物⇒偉そうな人。文章を書く事。
■座右の銘⇒人生は出逢いそして感謝

僕はとにかく人が好き

僕はとにかく人が好きなんです。
お客さんであろうと友達であろうと対応は一緒。
だって、これからずっと住む家を建てさせてもらうんやから友達ぐらい仲良くならないと気持ちが持たないですしね(笑)
少しでも木の家が気になるとか建てたい、と思われた方は一度こちらから資料請求をしてみて下さい♪
何かの参考になるかもしれません。

⇓ ⇓ ⇓

https://kura-ya.net/contact

経歴

1978年1月 広島県竹原市に生まれる。
1996年4月 大阪芸術大学付属大阪美術専門学校デザイン学科デザインCAD専攻入学
1996年4月 浪速短期大学(現大阪芸術短期大学)デザイン学科 通信教育 入学
1998年4月 大阪芸術大学 芸術学部 建築学科 2回生編入学
2001年4月 東京のリフォーム会社で飛び込み営業で精神的に鍛えられる
2004年1月 退社
2004年4月 大阪府立松原職業訓練校の大工科に入学
2005年3月 卒業後不動産屋の建築部に入社
2007年2月 堺市の木の家注文住宅の工務店に入社(ここで木の家が好きになる)
2008年1月 退社
2008年2月 阿倍野区の工務店に入社
2008年4月 結婚
2010年4月 藏家として創業
2013年4月 株式会社藏家に法人化
2015年2月 所さんの劇的ビフォーアフターに出演 TVはほんまに大変やと実感(笑)
2015年5月 「ものづくり」の事業として「藏堂」を立ち上げる
2016年2月 事務所の2階でシェアオフィス「SOHO-KURA」としてオープン
2017年11月 19HOUSE(自邸)完成
2018年9月 ワールドビジネスサテライトのトレンドたまごに出演(これは奇跡(笑))
2018年12月 ウッドデザイン賞をオリジナル蝶ネクタイで受賞
2018年12月 新建ハウジングさんの新建新聞に工務店の経営術として掲載

 

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大阪市住吉区で居心地の良い家を、住まい手さんと一緒に楽しく作っています。
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