新住協 伊礼先生の講演を聞いて 20190227
《住まいの外部との関わりの重要性》
【ざっくり伊礼先生って】
・沖縄生まれ
・奥村先生に師事 頭柔らかめ
・断熱などはあまり考えていなかった(昔は!)
【沖縄の原風景】
・実家の屋根の上からの60数年前のカオスな風景のスケッチ
・路地幅1mちょいくらいのところを子供の頃走り回っていた
・アメリカの戦闘機ビュンビュンな生活、それが当たり前だと感じていた
【やわらかな境界・ゆるやかなつながり】
・銘苅家(メカルケ)琉球王朝の建物
・何度も訪れていて、その度に見えかたが違う
・フクギ(防風林みたいなの?!)での境界 またその中に その中に入れ子構造?
・石灰岩を積んだ石垣は垂直に積まれずなだらかな感じ。
・単なる景観ではなくこういうもので台風から守られている。
・低い塀 ・街路樹での曖昧な境界線。そこから人が出入りする様に魅力を感じていた。
【風習・信仰?】
・T路地似の突き当りには「石敢當」
・魔物は真っ直ぐにしか行けないから、ぶつかるのでそこに魔除けとして「石敢當」は置かれている
・ヒンプンは門柱的なのを入っての壁で目隠しと魔除けの意味がある。
・建具を開ければ部屋の中が見える建物の作り。
・男女で右左に通る方向も決められていた。左に行くと水場、右に行くと玄関だったりと男尊女卑な側面も。
・雨端(アマハジ)というソトとウチの「あいだ」
・雨端は軒下空間で拒絶しつつ引き込む感じではあるが、コミュニティのため重要場所で頻繁に近隣の人が立ち寄る。先生の子供の頃、親御さんがいないときは近隣の人の相手をしないといけないので嫌だった。
・ヒンプンから雨端へとGLを徐々に上げて行き、GLとFLとの段差を緩やかにつなげている。
・御嶽(ウタキ)=この世とあの世の間と言われている場所
・そこにはノロ・ユタと言われる巫女的な人しか出入りできない。
・沖縄の家は身分に関係なく同じ作りで、奥に床の間(的な)とその手前に仏間(的な)となっている。
・あの世が本当の世界で、この世は仮的な
・人が安心していられる形、お母さんに抱っこされている状態
・仏間はそのような部屋とされ御嶽のような位置づけ
・御嶽には特別な魅力を感じ庭の計画の際は「御嶽的な」という言葉もかわされることも。
【沖縄といえばな海】
・海はやっぱり綺麗
・潮が満ちると海になり、引くと陸地になるあいだなところ
・そんな海と陸のあいだでは逃げそこねた魚やアオサを取っていた
・そこは、行けたり行けなかったりするところ
・それはパブリックとプライベートを緩やかにつなげるイメージにつながった。
【建築としてのアプローチ】
・卒業設計に先生のスケッチの場所の開発計画を課題に
・「沖縄の家」という絵本 (スケッチや文章・写真)は「ジブリまみれ」というラジオ番組で鈴木氏(当時プロデュサー)に無人島に一つなにか持っていくならコレと言われた。
・「呼吸する中庭」はシャッターの代わりにつけた大きなエントランスの木建を開け、更に奥の格子戸を開けると外と中にはがつながるような作りになっている。
・「呼吸する中庭」への通路の階段は視界を遮らないように
・裏側に景色良いの遊歩道のある敷地での設計では、建物を敷地に対して小さくし庭を作ることで、建物と遊歩道をつなげるようにした。
・機能としても家と外が緩やかに自然と繋がらないか。
・二階にいても地面を感じるような設計としてアオダモが2F の床から顔をのぞかせる。
・外だか内だかわからないような、雨端的な空間
・映画のワンシーンのような田園風景が切り取られた窓
・そこには造園家の荻野さんも木を植えなかった。
・でも金額は変わらなかった
【オチ!!】
・設計ってどれだけ外部を取り入れるかでしょ!野矢茂樹(哲学者)
【伊礼先生のこれからの課題】
・北(高性能な)の建物と南(沖縄のような)の建物の融合が先々の目標
スタッフ