なぜネジにはプラスとマイナスがあるのか?
NHK番組で、【チコちゃんに叱られる!】
という番組でなぜネジはプラスとマイナスがあるのか?
という面白いタイトルだったので、そのことについて書いてみたいと思います。
その前に、私はfacebookでマイナスビス協会っていうグループを勝手に作ってて
そこの会長でもあります( ゚Д゚)
(世の中にそんなのがなかったので勝手に作っただけなんですけども・・・)
⇓よかったら参加してみてください💖
マイナスビス協会のグループはこちら
目次
そもそも日本にネジが入ってきたのはいつ?
1543年種子島の鉄砲伝来で、日本にネジが入ってくるきっかけになりました。
火縄銃の反動に耐えられるように「尾栓」と呼ばれるネジが使われていたそうです。
鉄砲伝来=ネジ伝来
しかし当時は、マイナスやプラスではなく棒を差し込んで回すタイプのものでした。
江戸末期~明治にかけてマイナスネジ(マイナスビス)
が日本に持ち帰えられた
江戸幕府の勘定奉行を務めた小栗上野介忠順(おぐりこうずのすけただまさ)が
アメリカに視察に行った時にマイナスネジを日本に持ち帰ったそうです。
その持ち帰ったマイナスネジは群馬県高崎市にある、東善寺に行けばまだあるそうです。
画像はチコちゃんに叱られるより
(実際に持ち帰ったネジくぎの写真)
こ・・・これはマイナスビス協会会長としては行っとかないといけないですよね・・・・💦
誰か群馬県の方、現地に行って投稿をお待ちしております💖
東善寺の村上住職曰く、
小栗上野介忠順さんは、ワシントンの海軍造船所でネジくぎをもらってきた。
知り合いに配って、こういうものをどんどん作っている国がアメリカという国で
日本もこういう国にしたいと言っていたそうです。
なんと!日本に最初に入ってきたのはマイナスネジ(マイナスビス)なんです💖
明治時代~はマイナスネジ(マイナスビス)が主流だった
当時はマイナスネジ(マイナスビス)が主流だったのですが、ある人物がきっかけで
プラスネジ(プラスビス)が主流に変わったみたいです。
そのきっかけの人物とは
HONDAの創業者、本田宗一郎さんなんです!
プラスネジ(プラスビス)は誰が考えたのか?
1935年アメリカのフィリップ・スクリュー社(アメリカ)がプラスネジを開発。
その3年後の1938年に日本にも入ってくるが、加工技術がなくマイナスネジに比べて
生産量は圧倒的に少なかったそうです。
本田宗一郎が渡米そしてプラスネジを持ち帰り
しかし、1952年本田宗一郎が工作機械の視察で渡米した際、
プラスネジを持ち帰り自社のバイク製造のために大量生産を開始したみたいです。
タイトルにも書いてるマイナスネジ(マイナスビス)
があるのはなぜ?
それはプラスネジの場合、ゴミが詰まって取れにくいからなんです。
マイナスネジ(マイナスビス)の場合はネジが端から端まで切ってあるため
ゴミもすぐに取れやすいんです。
なので今でも最初から汚れることが想定されるところにはマイナスネジ(マイナスビス)
が使われるそうなんです♪
例えば電車車内の足元見たことありますか?
こんな所。
電車車内はいろんな人が沢山土足で歩くところ。
ここはかなりごみが詰まりやすいですよね。
こんな所は、やっぱりマイナスビス(マイナスネジ)を使ってますね。
他にも、電機メーターなども汚れやすい部分にはマイナスネジ(マイナスビス)
を使っています。
全く関係ないけどチコちゃんの声って誰か知ってますか?
5歳のチコちゃん。すごくかわいらしいなと思ってたのですが、
なんと声は、キム兄(木村祐一さん)なんです!
関係ないマイナスネジ(マイナスビス)の事を調べてて
チコちゃんの声優まで見つけてしまいました(笑)
マイナスネジ(マイナスビス)って販売してるの?
まだ今でもマイナスビスを作っているネジやさんはあるのですが
ホームセンターとかではもうほとんど見ることはないですよね。
古い金物やさんに行くと、真鍮製のマイナスビスや鉄製のマイナスビスが
みつかるかもしれません。
ちなみにですが、藏堂でも少量ですが真鍮製、鉄製、ステンレス製と
古いマイナスビスを取り扱っております。
(少し営業も♡)
⇓
藏堂HP
まとめ
マイナスネジ(マイナスビス)の使う場所はまだまだあるので今後もなくなることはないでしょう。
皆さんも用途によってマイナスビスを使ってみましょう💖
【ネジだけではなにもできないが、ネジがなければなにもできない、
この世はネジでできている よしかず】
日本ネジ工業協会 専務理事 大磯義和氏の言葉でした(笑)